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第3回

英国溜息物語(えいこくためいきものがたり)の段

 シェフィールドは坂の多い街だ。丘が七つもあるらしい。どことどこが何という丘なのか、わたしにはさっぱりわからないけれど、とにかく寮と学校との間を上がったり下がったり、毎日通っている。なんだかわたしの人生みたいだなと思いながら。
 ティーンエイジャーに人生を語る資格があるかどうかはともかく、ここ数ヵ月の身の上を考えると、たしかにわたしは上がったり下がったりだ。

 

 イギリスには、大学入学の前に一年間猶予をもらえる〈ギャップイヤー〉なる制度がある。この期間を使ってさすらいの旅に出るもよし、僻地でボランティアに勤しむもよし、企業にインターンで雇ってもらうもよし、とにかくいったん社会に出てみれば、自分の学ぶべきことや進む道がより明確になるだろう、という主旨らしい。この権利は行使してもよいし、しなくてもよい。
 そういう考え方を知ったとき、わたしもこれにあやかろうと思った。日本からイギリスに留学するには、どうしても半年間のギャップができる。留学すればいやでも勉強漬けになるのだから——イギリスの大学を卒業するのは日本の大学を卒業するよりずっと大変だ——その前にちょっと遊んで、もとい、社会見学しておいてもよいのではないかと。
 親友であり悪友でもあるもえの従姉がイギリスに住んでいて、バカンス——イギリスではホリデーと言うらしい——で出かける間、家を使っていいと言ってくれた。渡りに舟のような話だったから、夏にはふたりで渡英しようと盛り上がった。都内の大学に進学した萌にとっては夏休みの旅行、わたしにとっては留学の前乗りだ。
 親はもともと留学そのものに乗り気でなかったから、何もそんなに急いで出発しなくてもと渋い顔だったけれど、前乗り分の費用は自分で働いてまかないますと胸を叩いて見せたら、勢いに呑まれたのだろう、行き先が萌の親戚宅ならと許してくれた。
 萌自身はどこから見ても〈ダメな子〉だけど、彼女を取り巻くサポート体制にはうちの両親も信頼を置いている。彼女の父親は国外にも顔の利く政治家だ。
 萌の両親はと言えば、娘のことはまったく信用していないので、何かするときは必ずしっかり者の水川珠樹みながわたまきと一緒にという条件をつけた。逆に言うと、ふたり一緒ならたいていのことは許してくれた。学校では優等生で通っているから、わたしにはけっこう信用があるのだ。この関係を利用して、わたしたちは時折大胆なことをして遊んだりもした。
 かくしてわたしは、春の間は〈インターン〉と称して都内のレストランでアルバイトをし、夏になると萌とともに〈ボランティア〉でカーディフにある家の留守番をし、最後はイギリス縦断の〈旅〉をして、充実のギャップイヤーというかギャップターム——半年なので——を過ごすことができた。
 ここまではよかった。
 萌の歳の離れた従姉、玲子れいこさんは面倒見がよくて、ホリデーに出る前にいろいろ教えてくれたし充分な準備もしておいてくれたから、わたしたちには何の不足もなかった。親の目を離れて、自由気ままに過ごす異国生活は長い修学旅行みたいに楽しかったし、予算と照合しながらあーでもないこーでもないと旅の計画を立てて、自分たちだけの力でウェールズへも湖水地方へもエジンバラへも行けた。トラブルももちろんあったけれど、その分発見もあって、とにかく魔法とファンタジーの国イギリスは、海も、湖も、森も、見るものすべてが夢みたいに美しかった。その感動を分かち合える友のいることが嬉しかった。ヒースローまで萌を送って行き、いよいよ別れるときには涙ぐんで抱き合ったほどだ。
「泣くなよ」
 イギリス人よりも黄色い髪をして耳にたくさん穴を開けた萌は、乱暴な口をききながら、ショッキングピンクのパーカーをわたしの肩にかけた。
「また雨かもしんないし」
 イギリスではよく雨が降る。晴れていると思った次の瞬間には空からしずくが降ってくる。たいていはすぐに止むので誰も傘を差さない。上着のフードを引き上げてかぶるだけ。そのことに気づいて、わたしたちもフード付きのパーカーを買ったのだ。萌はピンクを買い、わたしはブルーを買った。萌はその背中に大きな日の丸のステッカーも貼った。行く先々で「ニーハオ」と声を掛けられることにうんざりしたからだ。こんなものは日本に持って帰っても着れないだろう。
 なんとなく雰囲気でわたしがブルーのパーカーを差し出すと、「サンキュー」と笑って萌はゲートをくぐっていった。そちらの背中にはユニオンジャックが貼られている。
〈お嬢様〉の概念を暴力的に払いのけ、肩で風を切って歩くようなこの友がわたしは好きだ。おとなぶった生徒ばかりの高校で、彼女だけが永遠の反抗期みたいにとんがっていた。心の底には何か難しいものがあるのかもしれないけれど、弱みを見せられたことはない。〈ダメな子〉を装って人生を達観しているようなところがある。ティーンエイジャーが人生を達観してよいものかどうかは知らないけれど。
 萌の乗った飛行機が飛び立ち、機影が見えなくなるまで見送ったところで、わたしは気持ちを切り替えた。
 休暇は終わった。これからはひとりだ。頑張って勉強して大学に入らなければならない。踵を返してシェフィールドへ。心細さもあったけれど、それよりも数週間のイギリス生活と旅行で身につけた自信のほうが勝っていた。
 調子に乗っていたのかもしれない。多分そうなのだろう。まさかホームステイ先の家をその日のうちに追い出されることになるとは思いもしなかった。

 

 原因はお風呂だ。
 イギリス人には日常お湯に浸かる習慣がなくて、バスタブのない家が多いのは知っていた。玲子さんの家は日本人夫婦が自分たちのために建てた家で何の問題もなかったけれど、旅先で泊まった宿にはバスタブなどどこにもなかった。萌はともかく、わたしの場合、旅の予算はアルバイトで貯めたお金だけで、一日でも長く旅を続けようと思えばユースホステルやドミトリーに泊まるしかない。そんな宿ではシャワーからお湯が出ればいいほうで、それさえ夜になると止まってしまうこともあった。
 少々の不自由さはむしろ新鮮でふたりはしゃいだものだけれど、二週間も過ぎれば疲れは溜まる。萌も別れ際には「風呂入りてぇ!」と叫んでいた。わたしもそうだ。心底、お湯に浸かりたかった。
 そしてその家にはバスタブがあった。栓は壊れているのか閉まらなかったけれど、タオルを詰めておけばお湯は溜められる。
「珠樹、賢い」
 小さな工夫を自分で誉めて、のんびりと足を伸ばして寛ぎ、湯からあがったところへ血相を変えたミセスローズが飛び込んできたのだ。
 どうやら、詰めたタオルを取り去ると浴槽の湯は老朽化した排水管へ一気に流れ込み、浴室は二階だったので、階下にゴゴゴーッとものすごい音が響き渡ったらしい。古い家にとって、それはレッドカード、一発退場の危険行為だったのだ。

 

 この話はけっこうウケる。知り合ったばかりのクラスメイトたちは、「Terrible!」とか「So bad!」とか、日本人にはできない大きな身振りで驚いてくれる。
「女の子を裸で追い出すなんて……」 
 けれど次の瞬間には、日本人の風呂好きは異常だという話になる。欧米人ならまだしも、中国や韓国の子にまでそう言われるとは思わなかった。アジア人ならわかってくれるかと思っていたのに、全然ちがった。
「トイレで尻まで洗う民族だもんな」
 と首を横に振ったのはマレーシアから来た男の子だ。 
 イギリスには来たものの、正確に言えばわたしたちはまだ大学生ではない。所属は進学準備コースのカレッジだ。
 イギリスの大学は一年生からいきなり専門課程が始まるので、一般教養や最低限のスキルは入学前に身につけておかねばならない。特に留学生は英語力を鍛えることが緊急課題だ。イギリス人並みに英語を使えなければ講義についていけないから、大学には入れてもらえない。
 なので、クラスは外国人ばかり。だいたい似たようなレベルのたどたどしい英語を話す。不思議と流暢な英語よりもたどたどしい英語の方が聞き取りやすかったりもして、イギリスという牧場に紛れ込んだ羊どうし、おのずと親しくはなる。
〈家屋損壊未遂事件〉の後は、すったもんだして、大学附属の寮に移った。実際には裸で追い出されたわけでも、その晩のうちに締め出されたわけでもない。怒っていたミセスローズは少し動悸がおさまってくると、さすがに深夜、若い娘を往来に放り出すわけにはいかないと気づいたようで、一週間の猶予はくれた。
 この一週間は、地獄だった。翌朝起きたら朝食は用意されていたし、出かけて戻ってくれば玄関を開けてはくれた。けれどお互いにっこりするわけにもいかず、ミセスローズはむっつりと、わたしは打ちひしがれて、世間話ひとつできなかった。
 ミセスローズというのは本当の名ではない。その家の薔薇はとても綺麗だったとわたしが何度も言うので、クラスの子たちの間で彼女は自然とそう呼ばれるようになった。まあ、それくらい何度もネタにされた。
 レンガの壁に蔓薔薇が這い、急勾配の屋根にちょこんと小さな窓のついた可愛らしい家だった。この町へたどり着いた初日——萌と別れて、これから頑張るぞと決意も新たにやってきたその日——玄関のベルを鳴らす前に、わたしは道の反対側に立って、しばらくその家にみとれたものだ。おとぎ話に出てきそうだと思った。
「ビクトリア調ね」
 建築の勉強をしたくてやってきたベルギーの子が、そう教えてくれた。
 実を言えば、その後も何度かその家の前を通った。通り道ではなかったけれど、未練がましく、用もないのに遠回りをして帰った。
 花を見るのだと自分には言い訳していた。薔薇ばかりではなく、窓辺に掛けられたプランターの花も魅力的だった。いかにもイギリスらしく可憐でありながら品がいい。九月に咲いていた花が終わりかけると別の花が咲き、冬になっても何かしら彩りがそこにはあって、曇りがちな空を、というより曇りがちなわたしを明るくしてくれる気がした。
 花にはそういうところがある。花は優しい。ミセスローズはともかくあの家の花々はわたしを拒まず、むしろ慰めてくれる。多分、気分が沈みがちな時ほど、足がそちらに向いたのだと思う。
 もちろん、絶対ミセスローズには見つからないように気を配っていた。まだ遠いうちはゆっくり歩きながら眺めていて、いざ家の前を通り過ぎるときはあらぬほうに目をやりそそくさと足を速めた。もし外に彼女を見かけたら即座にUターンしたと思う。ただ、そういうことは一度もなかった。
 その代わり、わたしと同じ年頃の女の子が薔薇の木の間を縫って出てくるのを見たことがある。赤毛をポニーテールにした快活そうな女の子だ。わたしが追い出された後に入ったのだろう。きっとシャワーだけで平気な子だ。
 そのときは、自分でも意外なほど落ち込んだ。あんな失敗さえしなければといつにも増して後悔し、深い溜息とともに、とぼとぼ寮に帰ったのだ。
 寮の暮らしはなかなかに凄まじい。絶えず壁の向こうでうるさい音楽が鳴っている。越してきた日からそれは続いていて、挨拶がてら少し静かにしてくれないか頼みに行ったら、相手はにこやかな中国人で、「お勉強中なのね、協力してあげる、、、」と、そのときはボリュームを下げてくれたけれど、翌日からはまた同じだった。イライラするだけ損だから耳栓を買って耐えている。
 食事も悲惨で、頼んでいた夕飯は発砲スチロールの箱に何やら茶色いおかずとポテトがちょこんと入っていて隙間だらけということが一週間続いて、これは無理だとキャンセルした。とは言え、貯金は旅行で使い果たした上に予定外の引っ越しで物入りだったから、毎日外食というわけにはいかない。自炊しかないかと共用のキッチンを覗けば、これが女子寮かと目を疑う汚なさだ。
 盗難もあるからキッチンへ行くときは部屋をロックしろと、これは中国人とは反対隣のリズが教えてくれた。ベネズエラの子だ。女優かと思うほど美しい。頻繁にキッチンを使うらしいので、汚しているうちのひとりではあるのだろう。
「もう少しマシな部屋探せば?」
 わざわざ東京まで電話をかけて愚痴るわたしに萌は言う。もちろんそのつもりだけれど、条件のよい部屋を見つけるには時期が遅すぎたし、何より勉強が大変でそんなことをしているゆとりもない。
 授業は思ったよりハードで、予習復習が欠かせない。ときには徹夜しないと間に合わないこともある。出席すればOKというものではなくて、きちんと考えて発言したり、エッセイにまとめて提出したりを求められる。日本語でならともかく、すべて英語でというのはきつい。これできちんと点数がとれなければ大学に入れないのだから、のんきに家を探している場合ではない。
「そーかー」と言った萌の声はそのままあくびに変わる。時差は八時間あって、電話するときいつも日本は夜中だった。
「なんかさぁ、らしくないじゃん。お得意のお茶でも点てて精神集中したら。あたしは、もう寝るよお」
 サマータイムが終わるとさらに時差は広がって、なかなか電話もしづらくなった。最後に聞いた萌の声はそんなだった。
 作り付けの本棚に茶籠が置いてある。高校三年間お茶を教わった先生が見繕ってくれた。隣には流儀の巴紋を焼き印した茶掃箱。イギリスでも美味しいお茶を点てられるようにと大事に抱えて持ってきた。
 初めてお稽古に行った日、わたしは萌から借りたウィッグをつけ、萌の服を着て萌のような喋り方をした。先生を試すつもりだった。弟子を持つのは初めてという先生は、目を丸くはしたものの、怒りはせず、親に告げ口もしなかった。それどころか次に行ったときには先生も髪を青く染めていてびっくりした。〈ダメな子〉モードのわたしに合わせてくれたらしい。その日は花吹雪の中でお稽古をした。忘れられない景色だった。
「いい先生じゃん」
 話を聞くと萌は言った。わたしもそう思った。遊馬あすま先生、お元気ですか? 手紙を書くって約束したのにごめんなさい。ちょっと今そういう気分じゃないです。せっかく持ってきたお抹茶も何だか美味しくなくて……。
 玲子さんの家では何度か点てた。「心が落ち着くから」と偉そうに言って萌にも振る舞った。けれどここではうまく点たない。多分、水のせいだと思う。カーディフの水道水は軟水だったけれど、シェフィールドは硬水だ。硬水では、紅茶は香り立っても日本茶の旨みは出てこない。料理をしていてもそれは感じる。
 二度と立ち入るまいと思うほどに汚かったキッチンは、観察の結果、月曜日にお掃除のひとが来てくれて、そのときだけは綺麗になることがわかった。だから月曜と火曜だけはそこで調理することにした。これは、たとえ睡眠時間を削ってでもこの日にしないといけない。生存に関わるミッションだ。
 ご飯はお鍋で炊いて、おかず、といっても簡単なものしかできないけれど、なるべく多めに作って何日分か冷凍しておく。週末それも尽きると、あとはパンと林檎とサラダだけだ。外食は誰かと一緒のときだけ、それも中華かカレーに限る。他のものに手を出すのは、リスクの高いギャンブルだ。イギリスでわたしたちが生き延びられるのは中国人とインド人のおかげだと、それは本気で思う。
 その日、フライパンでハンバーグを焼いていたら、隣の部屋のリズがやってきて横でパンのようなものを焼き始めた。
 グレイがかった長い髪、長い睫毛、小さくて彫りの深い顔立ち。イギリスに来てから、鏡を見るたびに自分の顔がどんどん扁平になっていくような気がする。それは錯覚だとしても、水のせいで髪はごわごわだし、肌も荒れて、ストレスのせいかとにかく見た目はぼろぼろで、美女の隣に立っているだけでひとつの試練だ。ベネズエラは国策で美女を大量生産しているらしく、だとしたらリズは間違いなく成功例だ。
「ホテルはどう?」
 長い髪を搔き上げながら歌うようにリズが訊く。腰の高さからして全然ちがうので、声は上のほうから降ってくる。
 ホテルというのは、リズのバイト先だ。前に同じようにここで料理していたとき、ホテルでアルバイトをしていると聞いたから、間髪容れずわたしは訊いた。
「バスタブ付きの部屋はある?」
 え、何が? と三回くらい聞き返されてようやく意味が通じ、数日後、三室あったと教えてくれた。
 以来、わたしは月に一度か二度はそこに行ってお湯につかる。心おきなく浴槽にお湯をためて、ソープを泡立て、のんびり足を伸ばすのは至福の時だ。突っ張っていたふくらはぎや固くなっていた腰が緩み、疲れがとれていく。どうかすると一晩に二度も三度もお湯につかった。その日の眠りは穏やかに深くて、嫌なことを忘れてどうにか再生することができる。リズさまさまだ。
「ちょっと理解できないわ。それだけ払えたらもっといい寮に住めるのに」
 リズは焼いているパン——アレパというらしい——をひっくり返す。
「だから食費は節約してる。日本人、お風呂ないと死にます」
 わたしは人差し指でハンバーグを指す。この国の物価は高いけれど、食料品は安い上に税金もかからない。外食しない限りはそんなに困らない。
「日本人、お風呂ないと死ぬ……」
 鸚鵡返しにリズが呟く。
「日本人、お風呂ないと死ぬ……」
 クツクツと笑い出し、それから爆笑した。きっと何か言い方が変だったのだろう。
 彼女は美術専攻の一年生で、見た目は派手でも中身は意外と堅実だ。勉強家でもある。会ってまもなく浮世絵について質問されたときは困った。ほとんどまともに答えられなくてむしろ逆に教えられて恥ずかしかった。英語もスマートで、わたしの聞く限りではネイティブと違わない。
「リズはどうしてそんなに英語が上手なの?」
 わたしは英語の成績が上がらず焦っていた。リスニングが特に弱い。クラスの子たちは時間とともに上達して、この頃では先生のジョークにも即座に反応して笑うのに、わたしだけがワンテンポ遅れる。ネイティブとの接触が少ないせいだ。
 他の子たちは、ホストファミリーと毎日喋っているとか、イギリス人学生の多い寮にいるとか、中にはイギリス人の恋人ができたという子もいて、要するに日々、生の英語に触れている。わたしはといえば、寮には外国人ばかりでイギリス人はいない。イギリスにいるのに、授業で会う先生以外にネイティブのイギリス人とはほとんど接触がない。スーパーの店員さんと図書館の受付のひとくらいだ。
 そんな風に愚痴っていたら、来週、専攻仲間で軽いランチパーティがあるよと誘われた。
「イギリス人と留学生と半々くらい。友達できるかも」
 シティセンターに巨大なクリスマスツリーが立つ頃だった。そこここに光のオブジェが出現して、夜の人通りも増え、皆の荷物が大きくなっている。
 誘われたのはパーティと呼ぶほどのものではなくて、冬休み前に、お互い顔を忘れないようパブで親睦を深めておこうといった程度のゆるい会だった。大学生でもなく美術専攻でもないわたしがいても、誰も意に介さない。
 リズは時間になってもやってこなかった。というより時間通りに来ていたのは後から思えば半数程度だ。知り合いはひとりもいない。ようやく日本人の女の子を見つけて話しかけたら、ものすごく愛想のよい挨拶のあとで、日本人同士で固まるのはやめましょうねと離れていった。あっさりしていた。たしかにここで日本人だけで固まっていても仕方がない。それは同感で、だからわたしもそれまであえて日本人のグループには近寄らなかった。とはいえ、そうはっきり言われてみると、冷たく突き放された感じがしてへこんだ。
 気を遣って話しかけてくれる男の子たちもいるにはいた。ブラジル、ハンガリー、ケニア……国籍はそれぞれ、皆、日本は好きだよと優しく笑う。一生懸命応対したけれど、へこんだ心はもとに戻らなかった。金縛りにあったみたいだ。
 萌と旅していた間は、英語が通じなくてもかまわず気合いで攻めた。高校生でサマースクールに参加したときは、まるで師範気取りで、茶道や華道をイギリス人にレクチャーした。今よりずっと英語も下手で、誤解も失敗もたくさんあったのに、そんなことは気にならなかった。あの水川珠樹はどこに行ったのだろう。
 いつの間にか男の子たちは日本アニメの話題で盛り上がっている。わたしはアニメはほとんど見ないから、聞いていても正直よくわからない。アニメも知らないし、浮世絵も知らないし、さっきは歌舞伎についても訊かれたけれど、自分でも情けないくらい何も知らない。作り笑いを浮かべて聞いているよりほかはない。居心地悪いなと思いながらジンジャエールのグラスを握りしめていた。
 ふと気づくと隣のテーブルにいた青年が、頰杖をついてこちらを見ていた。
「ずっと黙ってるんだね。そうしてたら神秘的に見えるとでも思ってるのかな、日本人って」
 そんなふうに聞こえた。ネイティブの英語だ。碧い目の典型的なアングロサクソンが、皮肉めいた表情を浮かべている。
「乾杯、ミスミスティ」
 自分のビールを持ち上げて、気障きざに乾杯の素振りをし、ふふんと鼻で嗤った。そして、つまらなそうに立ち上がって行ってしまった。
「ミスティ?」
 どういう意味だろう。ミスティは〈霧深い〉とか〈ぼんやりした〉という意味だ。〈ぼーっとした女〉と貶されたのか。それとも言葉通り〈神秘のひと〉とでも言いたかったのか。だとしても褒め言葉には全然聞こえなかった。周りの男の子たちに訊いても、皆、肩をすくめるだけだ。
 なんとか一時間くらいは耐えて、もう帰ろうとしたとき、出口の近くで、「さよなら、ミスミスティ」と声を掛けられた。カウンター席にさっきのひとが半身で腰掛け、片手を上げている。にっこり返せばよいのか、むっとすればよいのかわからなくて、わたしは曖昧に目を伏せた。やたら気分が悪かった。
 もしかしたらレイシストだったのかもしれない。イギリスに来てから何度かそんな体験はした。萌と旅行していたときも、電車のボックス席に空きを見つけて、座ってよいかと尋ねたら、向かいのひとは微妙な顔で黙り込んだ。そのときは後ろのボックスから手招きしてくれるひとがいて、そちらに座らせてもらうことができた。空気を察したインド人夫妻が救ってくれたのだ。それでようやく何が問題だったのか悟った。
 ひとを差別してはいけませんとさんざん教わって来たけれど、自分が差別される側になったことは一度もなくて、平和なふたりは鈍感だった。人間、何もしなくても嫌われたり見下されたりすることはある。
 けど、そんなひとがわざわざ留学生のそばへ来るだろうか。嫌みを言うためだけに? 美術を愛する人間は、偏見なくおおらかな心の持ち主なんじゃないだろうか。わからない……。何だかもやもやする。
 結局、ブラジル人とハンガリー人とケニア人の知り合いはできたけれど、イギリス人の友人はできなかった。
 リズはわたしがパブを出たところにやってきた。途中寄ったスーパーのセールがすごくてたくさん買い込んだので一度寮に戻って置いてきたと言う。
「あなたも帰るなら、絶対寄って行くといい。野菜も肉もただ同然!」
 あっけらかんと言うから文句を言う気にもならない。わかったそうすると手を振って、別れたあとで溜息をついた。ほんとにみんなマイペースで羨ましい。
 教わったスーパーではたしかに色々な食材が投げ売り状態になっていて、リズが思わず興奮したのもわからなくはない。わたしも茶色い紙袋に山盛り野菜や果物を詰めて、でも高揚するよりはむしろどこかわびしい気持ちになった。なんだか農家のひとに申し訳ないとも思ったし、こういうものはむしろホームレスに配ったほうがよいのではないかとも思った。だからと言って自分で何かするわけでもなく、ぱらついてきた雨にパーカーのフードを引き上げて、とぼとぼと歩いていた。
 

 
「タメイキ?」
 背後に声がした。そんなに大きな溜息をついたかなと立ち止まる。しかも日本語だ。振り返ると、見覚えのあるひとが立っている。
「タメイキ? ミスタメイキ!」
 ミセスローズだと気づいて後ずさった。その道を歩いていた自分にも驚いたし、数ヵ月前の事件がフラッシュバックして緊張したし、でも、一番混乱したのは〈溜息さん〉て何だろうということだった。
 これも皮肉のたぐいなのか。〈ミスティ〉の次は〈溜息さん〉か。いや、それよりも、いつから〈タメイキ〉は〈カラオケ〉や〈カロウシ〉並みの世界語になったのだろう。
 ぽかんとした相手にミセスローズは不安になったのか、二、三歩わたしの背後に回り込んでわざとらしく背中を見た。多分、日の丸のステッカーを確認したのだろう。追い出されたときもこのパーカーを着ていた。
「タメイキ、お久しぶりですね。お元気でしたか」
 蔓薔薇の壁がすぐそばにあった。近くで見ると、壁のレンガのひとつひとつ、角がとれて丸くなっている。それほどに古い家なのだ。
 と、ようやく脳がカタカタと動き始める。なるほど、タメイキではなく、タマキと呼んでいたのだ、その声は。
「溜息さんって……」
 いくら何でもそれはない。勘違いに気づいたら急に笑えてきて、笑っている場合ではないと思うほどに止まらなくなって、肩が上下に揺れた。抱えていた紙袋から買ったばかりの林檎がひとつ、飛び出して坂を転げていく。
「あら、大変」
 ミセスローズが追いかけようとすると、向こうから歩いて来た恰幅のよい紳士がそれを拾った。持っていた杖を左脇にはさんで腰を落とし、両手でキャッチすると満足そうにゆっくりと立ち上がる。林檎を左手に、空いた右手で帽子を浮かせる。
「やあ、ケイト」
 そうだ、ミセスローズの本当の名はケイトだ。
「ごきげんよう、そしてありがとうございます。ミスターグレン」
 グレン氏は彼女に林檎を渡しながら、上体だけぐいと横に倒して彼女の後ろのわたしを見た。
「そちらの黒髪は白雪姫かな。林檎にはくれぐれもご用心」
 パチッとウインクをする。そして薔薇の門をくぐっていく。 
 後を追うミセスローズは、手にした林檎に気づいて振り返る。
「一緒にお茶をいかが?」
 ぎこちない口調だった。
「あなたとはもう一度お話したいと思っていましたよ」
 笑みはないけれど、社交辞令でもないらしい。
 笑って筋肉がほぐれたのか、わたしの緊張は消えていた。そうして自分はまだ何の挨拶もしていないことに気づく。
「あ、えっと、失礼しました。こんにちは。わたしもまたお目にかかれて嬉しいです。えーと、お茶のお招きをありがとうございます。喜んで伺います」
 ミセスローズはたどたどしいわたしの言葉を真剣な表情で聞き取って、お茶を飲むのだなと確認すると大きくひとつ頷いた。林檎を人質のように持ったまま家へ戻る。
 玄関を入ると、グレン氏はもうハンガーに帽子を掛けて、窓辺に寛いでいた。まるで自分の家みたいな態度だと思ったら、実際そうだった。そういえば初めてここに来たとき、ミセスローズはそんなようなことを言っていた。
「正確に言えば、わたしは家主ではありません。管理人です」
 詳しいことは後で聞けばよいと思ったからやり過ごして、詳しいことを聞く間もないまま追い出された。お茶の用意を待ちながらグレン氏の語ることには、もともとここにはグレン一家が住んでいてミセスローズは住み込みの家政婦だった。グレン夫人は病気で長く臥せっていたから、家事や息子の世話をいっさいがっさい任されていた。
 息子さんはやがて独立して出て行き、看病もむなしく夫人が亡くなり、グレン氏とミセスローズだけが残った。ふたりで暮らすのが気まずかったのか、ひと目を気にしたのかはわからないけれど、今、グレン氏は近所のアパートのようなところに住んでいる。
「この家の薔薇にはわたしよりも彼女の手が必要だからね」
 わたしが不思議そうにしたからか、グレン氏はそう言って、またパチッとウインクした。他にも事情はあるのかもしれない。
「まあ、排水管が壊れたら、多分、わたしが修理に来ないといけないが」
「あわわ、あのときはすみませんでした!」
 焦って謝ると、まあまあ落ち着けというようにグレン氏が両手を広げる。
 ミセスローズにもいくらか後悔の念はあるらしい。
「あなたには少し気の毒なことをしたかもと思っていたのです」
 言いながら三つのカップに紅茶を注ぐ。
——少しなのか
 とわたしは思った。自分が引き起こしたこととはいえ、わたしにとっては人生最大の危機だった。結局、親にも本当のことは言えていない。ホームステイ先の家の水回りが故障したのでやむを得ず寮に移ったと伝えてある。あのときは玲子さんに泣きついて、代わりに謝ってもらったり交渉してもらったりとずいぶん迷惑をかけた。親たちには言わないでと玲子さんにも萌にも口止めしてある。
「責任感の強いひとなのです」
 ミセスローズが空になったポットを持ってキッチンへ消えると、グレン氏は言った。
「この家をとても大事に思ってくれています。もしかすると、わたしよりも。わたしたち家族の世話がなくなった今、彼女は名実共にハウスキーパーです。ハウスを壊さずキープすることが至上命題で、実際、それはなかなか大変な仕事です。どこもかしこも壊れそうなので」
 それでもイギリス人は古い家が好きだ。もろくなった家を守って、静かに静かに暮らしている。そんなミセスローズがあの晩味わったのは、野蛮な異国人に家ごと潰されそうな恐怖だったのかもしれない。ホームステイを受け入れたのは初めてだったそうだ。お給料は払えないので、その代わりにするようグレン氏が勧めたのだ。
「わたしがいれば、取りなしてあげられたのですが、間の悪いことに、少し前に倒れて入院していたものだから、彼女にはずいぶん心配をかけてしまって、その心労もあったと思うのです。普段は優しいひとです。とても優しいひとです」
 多分それは本当なのだろう。あまり笑わないミセスローズの優しさを、グレン氏だけは知っている。そんな雰囲気があった。
 彼が彼女を庇えば庇うほど、わたしはあの時の寄る辺なさを思い出して身が震えた。言葉さえ満足に通じない知らない土地で、寝る場所を失う心細さ。それまで一度も浴びせられたことのないような罵声。しかも完全に非はこちらにあるという申し訳なさ。もし玲子さんがいなかったらと想像すると、目の前が真っ暗になる。寮の暮らしの厳しさも、成績が伸びないことへの焦りも、ひとから疎まれているのではという不安も、すべてはあの日に起因している。どうして、あの日、わたしは……。
 いつの間にか涙が溢れて止まらなくなった。ここは泣くところじゃない、止まれ止まれと思うほどに後から後から湧いてくる。驚いたミセスローズがキッチンから出てきて、何か言っているのはわかったけれど目がかすんでよく見えない。グレン氏とふたり、おろおろしていたのだと思う。
 ひとしきり泣いて少し落ち着いてきたとき、肩に温かい腕が添えられ抱きしめられた。ミセスローズの胸の中で、ごめんなさい、ごめんなさいと呟いた。日本語だったけれど、多分通じたのだと思う。背中をぽんぽんと何度も優しく叩かれた。
「こ、これはいるかな、お嬢さん」
 グレン氏がティッシュペーパーの箱を差し出してくれる。思いきり洟をかんで、ようやく泣き止んだ。考えてみたら、この町へ来てから思いきり笑ったのも思いきり泣いたのもその日が初めてだった。
「すみません」
 涙を拭いながら謝ると、何の問題もないとグレン氏は微笑んで、ふたりはもうそのことには触れなかった。
「今日のスコーンは悪くないね。まったく悪くない」
 そう言ってミセスローズの焼いたスコーンを勧めてくれた。イギリス人の〈悪くない〉は、そうとうの褒め言葉だ。
「ところで、さきほどの比喩ですけれど」
 冷めたお茶を替えながらミセスローズが言う。
「彼女が白雪姫だとすると、わたくしは悪い魔女だったのでしょうか」
「おや、小人のほうがよかったかね」
 ミセスローズは口をへの字にし、グレン氏はしれっと紅茶を飲み干す。おかしくてわたしも少し笑った。
「また来なさい。この時間はたいていわたしもここにいます。入院しない限りはね」
 その日、グレン氏はわたしを寮まで送ってくれた。冬は日の暮れるのが早くて、お茶が終わると外はもう暗かった。
 また来いと言われても、学校があるからお茶の時間に行くのは難しい。それでもその後、何度かは訪ねた。ミセスローズは相変わらずあまり笑わなかったけれど、スポードのティポットで淹れてくれる紅茶は絶品だった。日本でこれほど芳しい紅茶を飲んだことはない。
 そこにはいつも何か焼き菓子がついていた。ビスケットだったりショートブレッドだったり。自家製のこともあったし、市販の物の場合もあった。その都度、グレン氏は味を批評して、何かしら薀蓄を披露してくれた。ビスケットは産業革命の副産物だとか、ショートブレッドはほぼお菓子だけれど、税金がかからないようパン(ブレッド)と呼ぶのだとか。
 それは少し不思議な時間だった。わたしはふたりの邪魔をしているような気もしたし、逆にふたりを支えているような気もした。わたしが訪ねていくと明らかにふたりはほっとした表情を見せる。あたかもふたりきりでいるのは後ろめたいというかのように。
 日が短いうちは、毎度、グレン氏が寮まで送ってくれた。それが紳士の務めなのだそうだ。
「もしよかったら」
 ある日、寮の手前でグレン氏が言った。
「またあの家で暮らしませんか」

 

 春、シェフィールドにも桜が咲いた。わたしはお花見を提案して、クラスメイトたちと一緒にピースガーデンへ行く。芝の上にレジャーシートを広げ、これが日本の伝統的なお花見スタイルだとレクチャーしながらお抹茶を点てた。何軒もスーパーを巡ってやっと軟水のペットボトルを見つけたのだ。それを湧かしてポットに入れた。お菓子はショートブレッド。
 学校はイースター休暇に入ったところだ。天気の不順なこの街にしては珍しく日射しの穏やかな日で、たくさんのひとがうきうきと外を歩いていた。それでもいつ空模様が変わるかもしれないと、警戒は怠りなかったけれど、お茶を点てているうちにそんなことも忘れてしまった。シェフィールドの空気に自分がしっくり馴染んでいるのがわかった。降るときは降る。それだけだ。
 飲み終わると、中国人の女の子が、これが中国の伝統的なダンスだと古典舞踊をひとさし舞ってくれた。ものすごく身体が柔らかくてびっくりする。それじゃあと立ち上がった韓国の子がテコンドーの型を披露して、周囲の見知らぬひとびとからも拍手が起こった。
 なんとも平和だ。そういえば、この〈ピースガーデン〉という名は、広島から訪れた被爆者たちに捧げられたものだそうだ。入り口の石板に記されていた。海を隔てていてもひとの心はつながっていると素直に信じられそうな気がしてくる。
 そのとき、どこからか呼ぶ声がした。
「おーい、ミスミスティ」
 パブで会った碧眼の青年だ。遠目に目立つショッキングピンクのパーカーが引き寄せてしまったらしい。
 それでもわたしは機嫌がよかったから、思いきり笑顔を作って、何か御用ですかと訊いた。
「引っ越し先、探してるんだろ。うちのシェアハウス、今度ひとり抜けるから、君、どうかなって」
「はぁ?」
 わたしは首をひねり上げるようにして彼を見た。男の人と一つ屋根の下で暮らすなどと言ったら、うちの親は卒倒する。
「なんだ、嫌ならいいよ。そんなに怖い顔で睨まなくても」
 作ったはずの笑顔は険しく歪んでいたらしい。
 バツが悪そうにしているのが少し気の毒になって、一服どうかと勧めてみると、彼は物怖じもせず車座の中に割り込んで、やっぱりふふんと鼻で嗤うようにわたしの点前を眺めた。そういう癖なのかも知れない。寮を出たがっていることはリズから聞いたと言う。
 家の話だと気づいて、クラスメイトたちが余計なことを蒸し返す。〈家屋損壊未遂事件〉だ。彼は失礼なくらいガハガハ笑って、カフェオレボールでも啜るように抹茶を飲み干した。神経質そうに見えるのに、することは案外がさつだ。
「大丈夫ですから」
 みんなにも聞こえるようにわたしは宣言する。夏からは、またミセスローズと暮らします。えーっと皆がのけぞる。彼らの中のミセスローズは怖い魔女のようなイメージなので、大丈夫かと口々に心配された。
 わたしが見かけた赤毛の子は短期の語学留学でとっくに引き上げ、今いるのは中国人の大学院生だ。こちらは二ヶ月間だけなので、まもなく帰国する。
 ここだけの話だがと、あのとき、グレン氏は言った。
 ミセスローズにとって、わたしは排水管を壊しかねないモンスターだったけれど、その後に預かった学生たちも負けず劣らずモンスターだった。赤毛の女の子は毎晩遅くまで遊んで帰って来なかったし、今いる大学院生はまるで自分がご主人様のように要求ばかりする。それに比べれば、タマキは真面目だし、よく片付けを手伝ってくれるし、礼儀も正しくて、下宿人として申し分ない。そのことに今さらながら気づいたと。何より薔薇を誉めてくれる言葉が嬉しいとミセスローズは言っていたそうだ。
 だから順調に大学への進学切符を手に入れたなら、あらためてグレン家のお世話になろうと思う。花に囲まれた家に暮らせると思うと今から嬉しい。不器用なおとなふたりのことも気にかかる。

 

 遊馬先生、お元気ですか。こちらは長くてどんよりした冬がようやく終わったところです。今度こそお手紙を書きますね。長い長い手紙になりそうです。

 

 

profile

松村栄子(まつむら・えいこ)

1961年静岡県生まれ、福島県育ち。筑波大学第二学群比較文化学類卒業。90年『僕はかぐや姫』で海燕新人文学賞を、92年『至高聖所(アバトーン)』で芥川賞を受賞。著書に、「粗茶一服」シリーズ、『僕はかぐや姫/至高聖所(アバトーン)』、エッセイに『ひよっこ茶人、茶会へまいる。』『京都で読む徒然草』、詩集に『存在確率──わたしの体積と質量、そして輪郭』などがある。京都市在住。

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