
小学一年生の二学期くらいまで団地に住んでいた。
覚えているのは、台所についている透明なひも。
「このひもなあに」
短い髪でツインテールした私がきく、母は片方の口角をあげてにいと笑い、ゆでたまごを右手にもち、左手でひもの先をもって、そのひもにすうーとゆでたまごを通して、きれいなまっぷたつにした。
「これを、こうよ」
母は勝ち誇ったような顔つきで、うつくしい断面をわたしにまじまじと見せたあと、半分になったゆでたまごを、ぽんと私の口へ放り込んだ。急にきた味と感触にうろたえていると、母は自分の口にもぽーんと放り込んで、りすのような立派な頬をして、次の台所仕事へと向かうのだった。
中古の一軒家に引っ越したあと、あのひもが垂れることはなかった。けれど、ときどき、夢にみるほど、あの瞬間をまぶしい感じで思い出す。
お母さんのほうは覚えているだろうか。あの瞬間のことを。
私のほうは覚えているのだ。まだうるんだ瞳の、足元もおぼつかない、おとなになんてなるはずなかった笑ってばかり泣いてばかりの私は、こんな記憶がこんなまぶしく残るだなんて、さっぱり知らずに、わからずに、ぷるんとした、少し硫黄っぽい臭みを口の奥で感じる白身と、ぱさぱさとした、食べれる粘土みたいな黄身を、小さな口の中でもっもっもっもっと懸命に食べていた。
今年の4月から更新してまいりました小原晩さんの連載「うちがふつうで、よそがへんなの!」はこれで終了となります。お読みいただきありがとうございました。今後は、単行本刊行の準備にとりかかります。2026年冬頃の刊行を予定しております。楽しみにお待ちいただけますと幸いです!(ポプラ社編集部)
小原晩(おばらばん)
作家。1996年、東京生まれ。2022年にエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2024年11月に実業之日本社より増補版を刊行。他の著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

