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第6回

ぼくらは祈ることにした

     
1

「どう思いますか?」
 陽司ようじが応接室を出て行ったあと、瑠生るいは思わずといった感じで水音みおに訊ねた。
 真莉愛まりあは敬斗けいとに対するいじめはなかったと証言した。だが、陽司は真逆で、クラスメイトたちが敬斗にいじめを行っていたと言った。
 どちらかが嘘を吐いていることになるのだが、瑠生には、双方が真実を言っているように思えてしまう。
「現状では、何とも言えませんね」
 水音にしては珍しく、険しい表情をしている。言葉の通り、二人の真意を測りかねているのだろう。
「まあ、そうですよね」
「もしも、陽司君の言ういじめが、本当に行われていたのだとしたら、相当に悪質だと思います」
「同感です」
 メッセージアプリのクラスのグループで敬斗を吊るし上げるだけでなく、無視をしたり、断食させたりといった罰を与えていたというのだ。
 敬斗が味わった苦痛は、並大抵のものではないだろう。
「しかも、担任教師までその輪に加わっていたというのは信じ難いです」
「充分にあり得るんじゃないですかね」
 瑠生がボソッと言うと、水音が目を見開いた。
「生徒を守るべき立場の教師が、一緒になっていじめを行っていたとは思えませんが」
「それ、本気で言っていますか?」
「それは……」
 水音は悔しそうに下唇を噛んで俯いた。
 認めたくないだけで、水音自身、分かっているはずだ。学校の教師全員が、聖職者として信念を持ち、教鞭を執っているわけではない。
 中には、いじめを咎めるどころか、加担し、助長する教師もいる。実際、その手の事件が表面化したこともある。
「色々とはっきりさせるためにも、担任の青田あおた先生には、できるだけ早い段階で話を聞く必要がありますね」
「そうですね。敬斗君のお母さんの件もありますし……」
「ええ」
 愛美まなみが、学校側に敬斗のいじめについて問い合わせた際、対応に当たった担任教師の美利みりは、家庭内の虐待を疑うような発言をしている。
 自分がいじめに加担していたことを隠蔽するための発言だとしたら、相当に悪質だ。美利が学校を休んでいるのは、そうした事実を隠し通そうとしているからかもしれない。宇佐美うさみが美利の父親を通して様子を聞いてくれると言っていたので、それまでヒアリングは待とうと思っていたが、多少、強引な手段を使ってでも、話を聞き出した方がよさそうだ。
「もう一つ、アニュス・デイという言葉が気になって……」
 水音が顎に指を当てる。
「ラテン語で神の小羊という意味ですよね」
「はい。洗礼者ヨハネがイエス・キリストを指して、世の罪を取り除く神の小羊(アニュス・デイ)と呼んだとも言われています。それで思ったんですけど、陽司君の話が本当だとすると、敬斗君に行われていたいじめって、何だか宗教じみていませんか?」
「言われてみれば、そうですね」
 これまで、考えたこともなかったが、メッセージグループの名前にまでアニュス・デイという言葉を使っているのだから、そこに何かしらの意味があるのかもしれない。
「もしかしたら……」
 水音の言葉を遮るように、瑠生のスマホに電話がかかってきた。大貫おおぬきからだった。
「はい。神原かんばらです」
<大貫です。次の生徒を呼んでも構いませんか?>
 予想以上に、水音と話し込んでしまった。生徒たちの下校時間を考えると、ペースアップしてヒアリングをした方がいい。
「よろしくお願いします」
 瑠生は、そう告げて電話を切った。
「次は、佐藤さとう翼つばさ君ですよね」
 水音が資料を手に取る。
 先に伝えておいた方がよさそうだと考え、瑠生は一昨日の夕方に、屋上で翼と会ったときのことを説明した。
 話を終えたタイミングで、コンコンと扉をノックする音がした。
「どうぞ」
 瑠生が声をかけると、ゆっくり扉が開き、翼が部屋に入ってきた。
 背中を丸めていて、視線が落ち着きなく動いている。この状況に怯えているのかもしれない。
 瑠生の顔を見て、屋上での一件を思い出したのか、少し驚いた顔をした。
「佐藤翼君ね。どうぞ。まずは座って」
 水音が促すと、翼は「は、はい」とか細い声で答えてから向かいのソファーに座った。
「翼君は、絵が好きなの?」
 それぞれ、簡単に自己紹介をしたあと、水音がそう訊ねた。
「一応……」
 翼が俯いたまま答える。
「美術部とかに入っているのかしら?」
「はい」
「この前、神原先生と会ったとき、絵を描いていたそうだけど絵を描くのも好きなの?」
 水音が訊ねると、翼はちらっと瑠生の方を見た。
 批難されているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「はい」
「屋上から見た風景画とかを描いていたの?」
「いえ」
 翼は首を左右に振った。
 瑠生も見ているので、翼が描いたのが風景画でないことは知っている。
「翼君が描いたのは、人物画だったよね。両手を広げた少年が、宙に浮いていて、それをたくさんの羊が見守っている」
 瑠生は、屋上で見た翼の絵を思い浮かべながら言う。
 幻想的で美しい色使いだったのだが、それでいて、グロテスクな印象も持った。
「はい。そうです」
「漫画のキャラクターとかなの?」
「違います。あれは、敬斗君を描いたんです」
 翼の返答に思わず眉を顰めた。
 両手を広げていたのが、敬斗ということか。だとしたら、転落死した敬斗が、天国に旅立つ様を描いた絵なのかもしれない。
「どうして、屋上に絵を描いたんだい?」
 瑠生が訊ねると、翼の視線が少しだけ揺らいだ。
「見てもらおうと思って……」
「誰かに見てもらうなら、屋上よりも、教室とかの方がよかったんじゃないかな?」
「屋上の方が、敬斗君に近いと思ったから」
 翼の答えに驚き、瑠生は水音と顔を見合わせた。
「それは、どういうこと?」
「敬斗君は、天国から見てくれているはずだから、教室よりも屋上に描いた方がいいと思ったんです」
 翼の受け答えには、何だか違和感がある。会話が出来ているようで、微妙に食い違っている感じがする。
「敬斗君とは、仲のいい友だちだったの?」
 水音が訊ねると、翼は遠くを見るように目を細めた。
「友だちではありません」
「違うの?」
「はい。ぼくたちと敬斗君は、対等ではありませんから」
 翼は、きっぱりとした口調で答えた。
「対等ではないって、どういうことかしら?」
 水音が首を傾げる。
「言葉のままです。敬斗君は、ぼくたちにとって特別なんです」
「どう特別なの?」
「言葉では説明できません……」
「嫌っていたってことかしら?」
「違います。そんなことは、絶対にあり得ません」
 翼の口調は、少し怒っているようだった。
「でも、敬斗君をいじめていたっていう話もあるわ」
 水音が言うと、翼は大きくため息を吐いた。
「ニュースや週刊誌を見ているので、そういう噂があるのはぼくも知っています。でも、敬斗君を嫌う人なんていません。敬斗君がいたから、ぼくたちはこうして生きていられるんです」
「それって……」
「何も知らない人たちが、面白がって変な噂を流しているだけで、ぼくたちのクラスに、敬斗君をいじめている人なんて、一人もいませんでした」
 翼は保身のために嘘を吐いているようには見えなかった。いたって真剣だった。真剣過ぎるほどだ。
 信じてあげたいところだが、陽司とは真逆の証言になっている。いったいどちらが正しいのだろうか。
「アニュス・デイというメッセージグループがあって、そこで敬斗君を誹謗中傷していたと聞いたけど、それについてはどう?」
 水音が訊ねると、翼の顔からすっと表情が抜け落ちた。
「知りません」
 翼がボソッと答えた。
「え?」
「アニュス・デイなんてメッセージグループは知りません」
「いや、でも……」
「知りません。そんなものは、存在しません」
 翼は、そう言ったきり口を閉ざしてしまった。
 口ぶりからして、何か知っているのは間違いなさそうだが、強引に問い詰めたところで、真実を話してくれるとは思えなかった。
 水音も、同じ判断をしたらしく、翼との面談は終了ということになった――。
 それから、立て続けに七人の生徒にヒアリングをしたが、全員が敬斗へのいじめはなかったと証言した。
 人柄についても、静かで優しい人だったという、真莉愛の言葉をなぞるようなもので、新しい情報を得ることはできなかった。

      2

「取り敢えず、今日の分は終わりましたね」
 ヒアリングを終えた瑠生はソファーに凭れて、深いため息を吐いた。
「そうですね。何だか疲れました」
 水音が苦笑いを浮かべた。
 目頭を指で押さえていて、かなり疲れているように見える。
「山岡やまおかさんは、こういうことに慣れていると思っていました」
「ここまで連続で、生徒のヒアリングをしたことはありませんから、さすがに疲れました」
「まあ、それもそうですね」
 スクールカウンセラーとはいえ、連続で十人もの生徒からヒアリングをすることは、そうそうないだろう。
「神原先生は、敬斗君に対するいじめがあったと思いますか?」
 水音は顔を上げると、声のトーンを低くして訊ねてきた。
 咄嗟に返答することが出来なかった。今のところ、敬斗へのいじめがあったと証言したのは、陽司だけで、他の九人はその事実を否定している。
 とはいえ、こういうことは多数決で決められるものではない。それに――。
「陽司君が、嘘を吐いているとは思えないんですよね……」
 それが、瑠生の本音だった。
「私も同感です。でも、そうなると、他の九人の生徒、全員が嘘を吐いていることになります」
 水音の声は重かった。
「自分たちがいじめに加担していて、それを隠そうとしていたとすれば、そういう可能性もありますよね」
「それは、そうなんですけど……」
 水音は苦しそうに言ってから俯いてしまった。
 彼女は、生徒全員の言葉を信じたいと思っているのだろう。だが、それをすると矛盾が生じてしまう。その歪みに嵌まって思考が停滞しているようだ。
「今は、そこは考えなくてもいいんじゃないですかね。一旦、情報を集めることに集中しましょう」
 瑠生は、気持ちを切り替えるように言う。
 現段階で、いじめの有無を確定してしまうと、ヒアリングの際に解釈の偏りが生まれてしまう。できるだけフラットな状態で情報収集した方がいい。
「そうですね」
 水音は同意を示したが、無理に自分を納得させているようだった。
 ドアがノックされる音がした後、大貫が応接室に入って来た。
「お疲れさまでした。何か分かりましたか?」
 大貫が、作り笑いを浮かべながら訊ねてきた。
「いえ。まだ、情報収集の段階なので、はっきりしたことは分かっていません」
 水音が答えを濁したのだが、大貫はそれで引き下がらなかった。
「生徒たちは、敬斗君に対していじめを行ったと言っているんですか?」
「ノーコメントでお願いします。ヒアリングで話したことは、口外しないことを生徒とも約束していますので」
 水音が硬い口調で返答を拒んだのだが、大貫は諦めなかった。
「それは、分かっています。でも、教師として気になるじゃないですか。生徒たちが、何を答えたのか。それによって、関わり方も変わってきますし」
 大貫の口調がヒートアップしていく。
「お気持ちは分かりますが、お答えすることはできません」
「そうはいっても、今後、生徒を指導する教師の立場としては、知っておいた方がいいと思うんです」
 ここまでしつこいとなると、大貫は単に好奇心から訊ねているのではなく、何か別の思惑があるのかもしれない。
「いえ。やはりお話はできません」
「いいじゃないですか。そんなに堅苦しくしていると、男性に敬遠されますよ」
「今の発言は、セクハラに当たりますよ」
 瑠生は、すかさず間に割って入る。
 大貫は驚いて目を丸くしている。熱くなって、瑠生がいることを忘れていたのかもしれない。
「セクハラなんて、大げさな。そんなつもりはありませんよ」
「大げさではありません。大貫先生に、そのつもりがなくても、相手が不快だと受け取れば、セクハラになるのでご注意下さい」
 瑠生が淡々と告げると、大貫は「すみません」と頭を下げた。
 前に会ったときは気付かなかったが、水音への態度との違いを見ると、どうも女性を下に見る傾向があるようだ。
「大貫先生が、生徒からのヒアリング内容を知りたいのは、校長に何か言われたからですか?」
 瑠生が訊ねると、大貫の表情が強張った。
 図星だったようだ。校長の岸本きしもとは、こういう状況になって尚、保身を考えている。だから、大貫に命じて第三者委員会の動向を探ろうとしていたのだろう。
「いえ。岸本校長は関係ありませんよ。ただ、雑談として訊いただけですから」
 大貫の顔は引きつっていた。
 ここまで分かり易い人間も珍しいと思う。
「本当ですか?」
「もちろんです」
 大貫の返答は怪しさ満載だったが、現段階では瑠生の推測に過ぎない。
 証拠がないので、これ以上、追及したところで逃げられてしまうと考え、瑠生は大人しく引き下がった。
「私は、今日は先に帰ります。応接室の鍵は、預けておきますので、自由に使って頂いて構いません」
 大貫は、そう言うと会釈してから応接室を出て行った。
「ありがとうございます。助かりました」
 大貫の足音が遠ざかってから、水音がぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。気にしないで下さい」
「大貫先生は、校長の指示で情報を引き出そうとしていたんでしょうか?」
「あの感じからして、多分、そうでしょうね」
「校長は、相当なパワハラ気質で、教師たちからも評判が悪いと聞いています。どうして、言いなりになんてなるんでしょう?」
 水音は不思議そうに首を傾げたが、瑠生からしてみれば、さして疑問を感じない。
「人間は権威に弱いですからね。ああいうタイプは一定数います。その辺りは、山岡さんの方が詳しいんじゃないですか?」
「まあ、そうですね。環境の変化に対する防衛本能として、パワハラに対して従順に対応してしまうケースはよくあります。善悪の判断を全て相手に委ねて、自分は仕方なく従っているだけだというスタンスを取って、心を守っているんですよね」
「いじめの構造によく似ていますね」
 瑠生は思わず口にした。
 恐怖から自分の心を守るために、力の強い者に服従してしまう。その結果、いじめに加担してしまうのだ。瑠生にも経験がある。
「そうですね。ただ、大貫先生の態度は、それとは少し違うようにも思います」
「というと?」
「上手く説明出来ないんですけど、もっと狡猾というか……」
「狡猾ですか」
「いえ。忘れて下さい。今のは、根拠のない私の感想です。それより、この後は、どうしますか?」
 水音が気持ちを切り替えるように、首を左右に振りながら言った。
 かなり疲れているので、片付けをして帰宅したいところだが、今日のヒアリングで、どうしても引っかかることがあった。
「担任の青田美利先生の自宅に、伺ってみようと思っているのですが、いかがでしょう?」
 瑠生は提案した。
 一人で行くのも一つの手ではあるが、女性の一人暮らしの家に、瑠生一人で訪問するのは、色々と問題がある。水音に同行してもらった方が、後々、トラブルに発展しなくて済む。
「実は、私も同じことを考えていました」
 水音が賛同してくれたので、応接室の片付けをしてから、美利の自宅に向かうことにした。

      3

 瑠生が水音と学校を出たときには、辺りはもう暗くなっていた――。
 雨は相変わらず降り続いていて、ひんやりとした空気に満たされ、吐く息に白いものが混じった。
「タクシー呼びますか?」
 瑠生がスマホを取り出したのだが、水音は「徒歩で行きましょう」と傘をさして歩き出した。
 担任教師の美利の住むマンションまでは、徒歩で十五分ほどだ。雨は気になるが、歩いても問題ない距離だ。
「そうですね」
 瑠生も傘をさして歩き始めた。
「私、昔、いじめられていたことがあったんです」
 唐突に言った水音の声は、雨音に掻き消されそうなほど、弱々しいものだった。
 想像もしていなかった告白に、瑠生はどう返事をしていいか分からず「そうですか」と相槌を打つ。
「中学二年生のときでした。無視されたり、聞こえるように悪口を言われたり、大切にしていた物を盗まれたりしたんです」
「…………」
「担任の先生に相談したんですけど、誰にでもあることだ。子どものイタズラの延長だって、ろくに話を聞いてもらえませんでした」
「…………」
「学校に行こうとすると、腹痛がするようになって、不登校になってしまったんです」
 傘があるせいで、水音の顔は見えなかったが、空模様と同じでじっとりと濡れているような気がした。
「親御さんに、その話はしたんですか?」
 瑠生が訊ねると、一瞬の間があった。
「言えませんでした」
「どうしてです?」
「どうしてでしょうね。今になって思えば、両親の期待する自分であろうとしていたんだと思います」
「期待……」
「真面目過ぎたんだと思います」
「それで、どう解決したんですか?」
「解決なんてしていません。三年生になってクラス替えをしたのと同時に、これまでのことが嘘みたいにいじめはなくなりました」
「…………」
「ある意味、担任の先生の言葉は正しかったんです。でも、それがいつか終わることだとしても、心が傷付いた事実は残ります」
「それで、スクールカウンセラーになったんですか?」
 瑠生が訊ねると、水音は一瞬だけ足を止めた。
「あの頃、私は解決を求めていたわけではありません。ただ、誰かに話を聞いて欲しかったんです」
「その誰かに、山岡さん自身がなろうと思ったんですね」
「そうですね。私は、生徒の話を聞きながら、あの頃の自分を救ってあげたいのかもしれません」
 水音は自嘲するような笑い声を上げた。
 慰めの言葉をかけようかと思ったが、やめておいた。彼女は、そんなことを望んではいないだろう。
 などと考えているうちに、美利の住むマンションの前に到着した。
 エントランスに近付こうとしたところで、男女が言い争うような声が聞こえてきた。視線を向けると、マンションの二階の外廊下で、何やら言い争っている男女の姿が見えた。
 その姿を見て、瑠生は思わず眉を顰めた。
 男性の方に見覚えがある。学年主任の大貫だった――。

 

◇Profile◇

神永学(かみなが・まなぶ)
1974年、山梨県生まれ。2004年『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』でプロデビュー。「心霊探偵八雲」シリーズとして人気を集める。他の著書に「天命探偵」「怪盜探偵山猫」「確率搜查官 御子柴岳人」「殺生伝」「革命のリベリオン」「浮雲心霊奇譚」の各シリーズ、『イノセントブルー 記憶の旅人』『ラザロの迷宮』『マガツキ』『青龍中学校 オカルト探偵部』などがある。

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