
同じバイト先だった友人2人と居酒屋で飲んでいたときのこと。ひとりが突然、私がテーブルに置いていた電子タバコの箱をひったくり「なにこれ! なにこの開け方! 美しくないんですけど!」と絶叫した。たしかに美しくはない。だが、まさかバイト先のロッカーのなかにコーンポタージュの空き缶を1年以上も隠し持っていたこの女に「美しくない!」と非難されるなんて、思ってもみないことである。私が無造作にこじ開けた箱の内側にある銀紙を、彼女は丁寧にはがして「ほら、このほうが美しくない?」と言った。たしかに美しい。
私がタバコの銀紙を剥かないのは、大学のころからのことだ。これまで周囲の人間に幾度となく「気になるからはがせよ」と言われてきたが、それに頑として従わず私は今に至っている。だから今日も、私はこれに従うわけにはいかない。「いいじゃん、どうせ吸ったら捨てるんだらぁ」とふてぶてしい返事をしながら、私はテーブルの脇に置いたカバンの中に3日前から入っている鮭おにぎりの包み紙のことを考えた。
私の持ち物は基本的に美しくない。カバンの中はぐちゃぐちゃ、服はシワシワ、靴のかかともボロボロ、スマホはベトベト。着てきたコートのポケットも縫い目がほつれてしまっていて、そのなかにはくしゃくしゃのレシートが詰まっている。
「あわちゃんってさあ、お上品そうな顔してガサツなの、マジウケんだけど」と、友人は笑いながら言った。私はちいさいころから、どうも整理整頓というものがうまくないらしい。病的に几帳面な祖父母と母のもとで生まれ育ったにもかかわらず、どういうわけか、私だけが突然変異的にガサツなのだ。
小学校入学からほどなくして、私は自分がガサツであることを知った。机の中やランドセルの奥底からから親に渡すはずのプリントがカチコチに丸まって出てきたり、週明けまでに洗濯をしておかなければならなかった給食当番用の白衣が、やはりランドセルの奥底からシミがついたままの無残な姿で発掘されたり、クラスの大多数がそつなくこなしている「最低限の清潔感の維持」のようなものを、私はときどき盛大にしくじってしまうことがあった。こんな失敗をしているのは私と、どこのクラスにも何人かはいる「ハナクソを食べてみんなに嫌われている変わり者の男子」だけであった。
私はハナクソは食べていなかったし、授業中の態度もよく、先生の言うことに逆らったり大声で騒いだりもしなかった。「お上品な顔して」と前置きした彼女の言うとおり、その優等生然とした態度と実際のポンコツ加減は、周囲の大人をおおいに困惑させたに違いない。
今思えば、その「お上品な振る舞い」すらも、結局は元来の性格などではなく、思考錯誤の末になんとか身につけた付け焼刃の身のこなしに過ぎないのであって、そこに意識を集中させたことによる副作用というか、しわ寄せのようなものが、土砂が噴出するように私の身の回りを乱雑にしていたようにも思える。
当時の私は自分が片づけ下手なのをそれなりに気にしていた。私も大多数の生徒と同じように常に小ぎれいに身の回りを整えたかったし、できるだけそうしようという意識もあった。それゆえに、今のように開き直ることもできず、恥をかいて縮こまることもあった。
数々の散らかしエピソードの中で、最も恥ずかしかった出来事として記憶に焼き付いているのは、筆箱の中身についての記憶である。小学校3年生ごろになってくると、子どもたちは親から買い与えられた文房具から「自分が選んだ文房具」で装備をかためることを楽しみ始めた。とくに女子の中では「どれだけ可愛いペンケースを持っているか」「どれだけ良い香りの消しゴムで字を消しているか」が、決まりの多い学校生活において、どれだけ周りよりも目立つことができるかの重要なカギとなってくる。
横浜に住んでいる私たちの場合は、オシャレ文房具に目覚めた低学年女子はまず、近所の「くれよんハウス」という文房具屋にこぞって通い、行動範囲の広がった高学年のおませな女子は、元町のショッピングストリートにある「YOSHIDA」で文房具を買いあさる、というのがお決まりのコースだった。
YOSHIDAは私たちにとって流行の最先端、天竺のような場所で、低学年のうちにYOSHIDAに行って文房具を買った者がいれば、それだけで話題の中心になれるほどだった。そんななか、私は母の買い物の付き添いに行ったおかげで、3年生にしてYOSHIDAのペンケースを手に入れた。音符の刺繍が入った、デニム生地のペンケースだ。私は早速そのペンケースに一緒に買ってもらったスリム鉛筆と、ピンク色の消しゴム、ラメの入った三角定規を入れ、意気揚々と登校した。もちろん評判は上々。羨望の眼差しを一身に受けた私は、自分がクラスの最先端である優越感に酔いしれた。かわいくて綺麗に揃った完璧な文房具。これでガサツコンプレックスから抜け出せる。外身も中身もお上品な女子に、私はついになることができたのだ。
それから数日後に悲劇は起きた。ある授業でグループワークがあり、私たちは5人ほどのグループになって、机を向かい合わせた大きな長方形を作って席に着いた。向かいに座っていた女の子が、私に向かって「あわちゃん、三角定規貸してくれない?」と声をかけてきた。私はふたつ返事で了承し、数日前に買ったキラキラの三角定規を取り出そうとペンケースのファスナーをお上品に開く。暗い。ペンケースの中が闇に包まれている。いや、暗いのではなく、黒い。昨日まで綺麗だったペンケースの内側が、爆発したように真っ黒になっているではないか。焦って中をほじくってみると、かわいいイラストがついているスリム鉛筆のキャップが外れて芯が折れ、ペンケースの中でひとしきり暴れ回ったようだった。貸そうとした三角定規も真っ黒にすすけている。
ひどい。いったいどうして私だけがこんなことになるのか。私はみんなと同じようにきちんと身の回りを整えたいのに、どうしていつもこうなってしまうんだ。もはやこれは自分のだらしなさのせいではなく、私の周りだけなにか、重力か、遠心力とか、そういう逆らい難い自然法則の乱れによってこんなことになっているのではないかとすら思った。
とにかく三角定規を貸さなくちゃ。グループのみんなが見守るなか、真っ黒になった三角定規を取り出す。みんな明らかに引いていた。恥ずかしくてたまらない。でも、私はその瞬間なにか宿命のようなものを感じて、漠然と「自分はずっとこうなのだろう」とも思った。その予感は的中したのか、それとも改善を諦めた結果なのか、私のカバンの中は今日も汚い。今日も詰め込みすぎた化粧ポーチのファスナーが取れた。気にしない、気にしない。