
最近は執筆の仕事の延長で、ラジオやテレビなんかに出る機会が増えた。それに従って、自分とは全く関係ないと思っていた、いわゆる“芸能人”と呼ばれる人たちに会うことも多い。
大好きな芸人さんや、誰もが知っている芸人さん、そして、とくになんとも思っていない芸人さん(なぜか芸人さんに会う機会が圧倒的に多い)がごく自然に私を認識し、私の名前を呼んでくれる状況には、いまだ不思議な気分になる。
人間なんだから当たり前に実在しているのはわかっているのに、いざ目の前にしてみるとやはり「実在したのかぁ」という気持ちになるし、内心はしゃぎたくもなる。それでも一般人らしく無邪気に騒いでしまったら、なんだか運が尽きてしまうような気がするので、私はだいたいしれっとしたような態度をとっている。
思えば、こういう仕事を始める前から私はしれっとしていた。子どものときから「芸能人に会ってキャッキャするなんて、一般人みたいで恥ずかしい」と思っていた。一般人なんだから素直に喜べよと今さら思うが、その点に関して私は昔から変に気位が高い。
はじめて会った芸能人は誰だっただろうか。
記憶を掘り起こしてしばらく考えて、たぶん小学校低学年のときに会った谷原章介か八名信夫だろうかと思い至った。どちらも所属していた少年少女合唱団の活動で遭遇した芸能人だ。
谷原さんは今と変わらないさわやかな笑顔で「みんなよろしくね」と声を掛けてくださった。絵にかいたようなハンサムを前に、団員みんなが浮足立っていたことを憶えている。
その一方、わらわらといる子どもの集団のなかから私を認識して声をかけてくれたのは八名さんだった。もう20年近く前の私の記憶のなかの八名さんは、あの時点ですでにおじいちゃんである。
ときどきそのときのことを思い出して「きっともう亡くなっているのだろうな」と感傷に浸りながら検索をかけるのだが、そのたびに八名さんがいまだにおじいちゃんのまま存命であることを知り、私はいつもしみじみと驚く。人生って、成長が止まって歳を取ってからの方がずっと長いのだなと、改めて思う。
たしか、私たちは映画のワンシーンで「浜辺の歌」を歌う役だった。映画だったのかドラマだったのか、細かいことは全然憶えていないし、ChatGPTに聞いてみてもそれらしき作品は見つからなかった。お蔵入りでもしてしまったのか、はたまた存在しない記憶なのか。
それでもある日先生に「映画にでます」と言われてみんなでソワソワしたこと、一生懸命歌を練習したこと、家族に「やなのぶおって誰?」ときいて回った憶えはたしかにある。おじいちゃんにきいてみたら「悪役商会だよ」と言われて、ますます謎が深まった。青汁のCMに出てた、怖い顔のおじいちゃん。知らない。知らないけど、芸能人に会えるのは嬉しい。
当日どこかの老人ホームのような場所に制服を着て集められた私たちは、数台のカメラに囲まれながら練習通りに歌った。八名さんは背の高いおじいちゃんで、白いもみあげがフサフサしていた。何度か同じ場面を撮影して私たちの出番はあっけなく終わり、そのあとに八名さんを囲んで記念撮影をした。
たしかに強面だったが、八名さんは私たちにとても優しく、自分を囲む小さな子供たちに「どこから来たんだ?」「毎日練習してるのか?」と笑顔で話しかけてくれていた。
私は輪の少し外側に突っ立って、今と同じようにしれっとした態度をとりつつも、心のどこかでは「私にも話しかけてくれないかな」とモジモジした気持ちでいたと思う。それでも自分から話しかけるような屈託なさも持ち合わせていなかったし、なにを話したらいいかもわからない。ちょうど自分が周りと違うことに居心地の悪さを感じ始めていた頃だ。
ぷくぷくと健康的な体形のみんなに交じった私は、細くて不健康そうで、可愛げがないのを自覚していた。
可愛らしい子どもの合唱団をイメージして出演を依頼したのに、その中に色黒の浮いた子どもが混じっていることを、もしかしたら誰かが厄介に思っているかもしれない。映画のノイズになってしまっているかもしれない。子どもながらにそんなふうに思って、私は申し訳ないような、恥ずかしいような気持でそこにいた。
いらないことを考えていたらどんどん気持ちが暗くなって、照明がいやに明るい撮影現場で隠れるように下を向いていたら、不意に頭の上の方から「お嬢ちゃん」と声がした。
びっくりして顔をあげると、八名さんが私の目の前に立っていた。もみあげ。私よりはるか上にあるもみあげのついた顔が、笑顔で私を見下ろしている。
びっくりしてほとんど直立状態になっている私の頭に、八名さんは大きな手を乗せて
「お嬢ちゃん、頑張んなよ」
と言った。八名さんはそれだけ言って、ゆっくりと私の後ろへ去っていった。彼がなにを思ってそう言ったのかはわからない。私が思い詰めたような顔をしていたからなのか、見るからに不遇そうで、なにかしらの事情がありそうな子どもに見えたからなのか。私は曖昧に小さく返事をして、首をかしげて遠くなっていく大きな背中をぼんやりと見ていた。
大人になって、あのときのすべての記憶がうっすらとしか残っていないのに、どうしていまだにこの言葉だけがはっきりと記憶に残っているのか。私は嬉しかったんだろうか、それすらもよくわからない。
嬉しかったし、悔しかったんじゃないかと思う。私はみんなと比べて変で、普通よりも頑張らなくちゃいけない存在なんだって、今まで誰も言わなかったことがついに明らかになってしまったような気がした。
頑張んなよって、これって頑張ればどうにかなるの?
私はしばらくそんなことを考えていた。結局どう頑張っていいかわからないまま、私は今日まで生きている。今も相変わらず変なままだけど、居場所もできて、欲しいものはある程度手に入りつつある今、これって八名さんに言われた通り、私は頑張れたってことなのだろうかと考える。私はなにを頑張ったんだろう。
ここまで来てひとつだけわかったことは、あの頑張れが「変われ」って意味ではなかったのだろうということくらいだ。
私は変われなかった。不安定な場所から芽を出して、私は自分から逃げられないまま歪んだ枝を伸ばし続けている。これが頑張ったということなのか、やっぱりよくわからないけれど、このままやれば、いつか誰も見たことのない花が咲くかもしれません。
どうでしょう八名さん、私、ちゃんと頑張れたでしょうか。