
私の家は急な坂の途中にあって、そこからさらに50メートルほど坂を登ったところには広い空き地があった。手前に小柄な桑の木が生えていて、ほかに目につくものはなにもない。草と石ころばかりの空き地だ。
小学校がおわると、私はそこに集まって近所のハジメくんとキナちゃんとよく遊んでいた。なにせ遊具もなにもないただの空き地である。私たちは大抵「実験ごっこ」をして遊んでいた。
そのあたりに生えている草や、オレンジ色の木の実をまとめてバケツに入れて木の棒で潰し、ハジメ君の家の水道で汲んできた水を入れてかき混ぜる。毎日とにかくどぶ色の汁を作るだけの作業をする。できあがったその汁の色が不穏であればあるほど良かった。
汁の入ったバケツを覗き込みながら悲鳴を上げつつ、私たちはそれを、まだ世界中のどの学者も開発していない「最強の薬」だと信じてペットボトルに入れて眺めたり、匂いを嗅いだりして楽しんだ。あと、ほんの少し舐めたりもした。あのあたりに毒のある植物が生えていなくて本当に良かったと思う。
3人とも、まだこの世界にあるものについてほとんど知らなかった。自分たちの作るもの、発見したことは、世紀の大発明で、大発見であると、あの頃の私たちは心の底から信じていたのだ。実験ごっこに飽きると、今度は桑の実を採って食べたり、コンクリートの壁をよじ登って飛び降りたりして遊んだ。
それにも飽きると、今度は空き地の隅から隅まで歩き回って新種の生き物を探す。ある日、転がっていた木の枝をひっくり返すと、鮮やかな青色のしっぽをした縞模様のトカゲが現れた。こんな色の生き物は見たことがない。私が「新種だ!」と叫ぶと、トカゲは柔らかい身体をくねらせながら物凄いスピードで逃げ、一瞬で草むらの中に入っていってしまった。
私の声を聞いて駆け寄ってきたふたりにも見せたくて、しばらくのあいだ草むらの中を探し回ったけれど、トカゲはもうどこにも見つからない。青いしっぽのトカゲがいたんだと、私はふたりに興奮しながら話をしたのだが、ふたりとも「そんなトカゲいるわけない」と言って信じてくれなかった。
私は幻のトカゲを見たんだ。私にとってそれはこの世界に一匹しかいない、幻のトカゲだった。
私たちはこの空き地に秘密基地を作ることにした。それぞれ家から大量の段ボールを持ってきて空き地の真ん中に壁を作り、その囲いの中を段ボールでまた仕切って部屋を作った。石でゴツゴツしている地面にピクニックシートを敷いて座ってみた。ただ段ボールで仕切っただけの空間なのに、すごく気持ちが落ち着いたような気がした。
このままでもじゅうぶん秘密基地だが、ときどき通りかかる大人の視線が少し恥ずかしい。私は近くにあった資材置き場に置かれていた、何本かの竹に目をつける。たぶん近くの竹林から、誰かが切って持ってきたのだろう。3人で協力して、長い竹を空き地まで運んだ。
ちいさい身体で重い竹を運ぶのはそれなりに大変だったが、何時間もかけて少しずつ運び、それをまとめててっぺんを縄で縛った。それからそれを段ボールの周りを囲うように立ててみると、そこは床と壁と屋根がある完璧な秘密基地になった。
もちろん竹の隙間から中を覗けるものの、これならあるていど外からの視線を遮ることができる。家に自分の部屋がなかった私は、自分だけの空間ができたことがとても嬉しかった。その日は1日中、秘密基地のなかで図鑑を読んだり絵を描いたりして過ごした。明日もここでこうやって過ごそうと約束して、私たちは家に帰った。
次の日、秘密基地は跡形もなく消えていた。昨日あんなに一生懸命立てたのに、空き地はまた何の変哲もない空き地に戻っていた。
私たちが唖然としていると、キナちゃんのおじいちゃんがやってきて、気まずそうに「遊んだらちゃんと片づけなさい」と言った。どうやらそこはキナちゃんのおじいちゃんがやっている会社の土地らしい。
どんな土地にも、そこを買って管理している人がいる。大人の今なら当然そういうものだと理解できることだが、私たちはそれを聞いても全く納得がいかなかった。
なんで? 空き地が人のものってどういうこと? 空き地は地球のもので、みんなのものだろ! 訳の分からない大人の説明に、私は腹を立てた。
一応その場はきちんと言うことを聞いたふりをして、おじいちゃんがいなくなったあと、私たちはまた一から段ボールと竹を集めて秘密基地を作り直した。私たちが作ったんだから、これは私たちの秘密基地だ。ここはみんなの空き地なんだ。誰にも邪魔させるもんか。
腹を立てながら元の場所に戻された竹をまたせっせと運ぶ。今度は私たちの親や作業着を着た大人が集まってきて、遠巻きに私たちを見ながら険しい顔でなにかコソコソと話を始めた。「まぁ、子どもだからねぇ」と苦い顔をして誰かが言っているのが聞こえた。
子どもだから何にも知らないって? 当たり前だ、子どもなんだから。でも、勝手にルールを作ったのはそっちの方だ。ここにはルールなんて考えずに桑の実を作る木があって、それを食べるカミキリムシがいて、石ころがあって、幻のトカゲがいる。誰も使ってない、ただの地面なんだから、そこに居場所を作ってなにが悪いんだ。大人のほうがおかしいんだ。
昨日と同じように竹を縛って隙間だらけの壁を作り、私たちはその中に立てこもった。ここから離れたら、また秘密基地が壊されてしまうかもしれない。交代でトイレに行きながら、ときどき様子を見に来る大人が近づいてこないように竹の隙間から睨みをきかせる。
しばらくすると雨が降ってきて、屋根の上からどんどん水が降ってきた。地面もビショビショになって、とても居心地がいいとは言えない。「風邪ひくから帰ってきなさい」と言われて、ハジメくんとキナちゃんが帰ってしまったあとも、私はひとり、秘密基地に居座りつづけた。日が暮れて夜になった。門限があったので、仕方なく家に帰った。
次の日になるとまた、空き地はただの空き地になっていた。
幻のトカゲは結構どこにでもいた。スマホで調べてみると、ニホントカゲという種類らしい。空き地にはまもなく新築の家が建ち、桑の木もあっさりと切られてなくなった。東京の道の隅を走るニホントカゲを見て、大人の私は追いかけもせず目線だけでその姿を追う。
あの頃あいつは、私だけの幻のトカゲだった。
昨年の10月からちょうど1年間、更新してまいりました伊藤亜和さんの連載「変な奴やめたい。」はこれで終了となります。お読みいただきありがとうございました。今後は、単行本刊行の準備にとりかかります。2025年11月の刊行を予定しております。楽しみにお待ちいただけますと幸いです!(ポプラ社編集部)