
あの写真のことを思い出す。あの子の誕生日会の写真。たぶん、小学校4年生か5年生頃の写真だったと思う。
10人ほどの同級生が写っていて、その中に天然パーマの髪をふたつ結びにした小学生の私もいる。写真の裏側には、鉛筆で書いた大きな字で「来てくれてありがとう! これからも仲よくしてね」と書かれていた。
たぶん、そんなふうなことが書かれていた。確かめようにも、現物の写真はもうどこにもない。他のいろいろなものに紛れて捨てられてしまったのか、私が意図的にそれを捨てたのか、それすら思い出せない。とにかく、書かれているのは私に対する疑いのない親愛だった。私が彼女を嫌っていたことを、彼女は知らなかったのだ。
写真の中、みんなの中心で嬉しそうに笑っている彼女の顔の上には、激しく爪で引っ搔いた跡があった。私がやったのだ。彼女の顔が印刷された部分に、小学生の私は何度も何度も傷をつけた。指の先にありったけの力を込めた記憶だけが残っている。本当に彼女が憎かった。後にも先にも、あんなに人を憎んだ記憶がない。
しかし、あの頃の私がどうしてそれほど彼女を憎んでいたのか、さっぱりわからない。思い出せないのではなく、あの頃から今の今まで、わからないのだ。
Mちゃんについて思い出そうとすると、私はいつも彼女の背中に透けていたスポーツブラジャーのイチゴ柄を思い出す。彼女は周りにくらべて少しふくよかで、身体の発育も早かった。私を含めた周りの女子が、まだ性の匂いのしない華奢な体つきをしていたのに対し、Mちゃんの体はたっぷりとしたエネルギーに満ちていて、それを隠すような様子もなかった。
Mちゃんは水泳の授業をよく休んだ。だれかに理由をきかれればあっけらかんと「生理だから!」と答えていたし、先生に「生理でお腹が痛い」と訴えて授業中に保健室に行くこともあった。
成績は優秀で、おとなしいグループにいるけど物事ははっきりというタイプだった。騒いでいる男子がいれば率先して注意をして、学校の行事では積極的にまとめ役をするような女の子だった。だからといって、私はそれが理由で彼女を嫌い始めたということではなかったように思う。
私たちのクラスには、なんとなく彼女を「厄介な真面目ちゃん」として扱う空気が漂っていた。私は彼女の性格自体を嫌っていたというよりは、いつのまにかその空気に呑まれてしまったように感じている。私は彼女と仲がいいと周囲に思われることをひどく怖がっていた。みんなが嫌っているから私も嫌い。なんとなくそんなふうに振舞っていたら、そのうち本当に嫌いになった。
自分の枯れ枝のような身体とは違う、プリプリとした彼女の体が憎い。私が今か今かと怯えている「女」への変化を、隠しもせずごく自然に受け入れている彼女の言動が憎い。教室の隅でマンガの話をしているくせに、やんちゃな生徒にも物怖じしない姿勢が憎い。楽しいおふざけに水を差す空気の読めなさが憎い。なにより、私の憎悪に気づかずに気さくに話しかけてくる鈍感さが憎い。憎い。伝わってくれ。私に話しかけないでくれ。
そう思っていたある日、彼女は私を誕生日会に誘ってくれた。私は笑顔で「行く!」と返事をした。 彼女の家は新築の一軒家だった。私の他にもたくさんの同級生がきていて、その中には、私と一緒に彼女の悪口を言っていた子もいた。みんな彼女のためにプレゼントを用意していた。家の中はドラマで見たお手本のような飾り付けがされていて、彼女のお母さんが作ったおいしそうな料理と、大きなケーキがテーブルの上に並べられていた。
私は彼女の誕生日を祝っているふりをした。彼女が楽しそうに笑うたびに嫌で嫌で仕方なかったのに、彼女の優しい両親に娘の誕生日を祝ってくれることを感謝されながら料理を食べてゲームをした。
私の誕生日にはこんな豪華な飾り付けはないし、こんなに大きなケーキも出てこない。お母さんは口に出して「おめでとう」なんて言ってくれないし、両親は喧嘩ばかりしているし、お父さんはときどき暴れるし、こんなにたくさん友達もいない。なのに、なんでお前は全部持ってるんだ。学校でみんなに嫌われてるくせに、なにも知らないくせに。馬鹿馬鹿しい。なんで私はここにいるんだろう。早く帰りたい、ここからいなくなりたい。
そんなことを考えていたら、だんだん顔が引きつってきて、涙が出そうになった。必死で笑顔を作りながら、最後に彼女を囲んで写真撮影をした。優しそうなMちゃんのお父さんが、嬉しそうに何枚も写真を撮った。
やっとおわった。ようやく帰れる。そう思っていると、帰り支度をしている私たちひとりひとりに、Mちゃんのお父さんは「今日の記念に」と言って手作りのネックレスを手渡した。革でできたブラウンの紐の先には500百円玉くらいの銀色の輪っかがぶら下がっていて、 その少し歪んだ円の縁には、丁寧なアルファベットで「FRIEND♡FOREVER」と彫ってあった。
それを見た瞬間、今まで抑えていたマグマのような怒りが自分の底から音を立てて湧き上がってくるのを感じた。照れ臭そうに、しかし誇らしそうに「これからもMと仲良くしてね」 とはにかむお父さんの横で、私は直立不動のまま、ブラブラと揺れるネックレスを睨み続けた。
なにがFOREVERだ、ふざけんな。ふざけんな。私はMちゃんが嫌いなんだ。なんでわからないんだ。馬鹿じゃないのか。頭の中でそんなことを喚きながら速足で玄関に向かい、逃げるように家に帰った。
数日たって、Mちゃんは誕生日会の写真を印刷して私にくれた。私はそれを受け取って家に帰り、部屋の隅でMちゃんの顔を穴が空くほど爪で傷つけた。
こうして書き出してみれば、あの頃の私が彼女に嫌悪感を抱いていたのにはそれなりの理由があったようにも思う。しかし、それは大人になった今の私が到底理解できるものではない。
本当にそれだけの理由で、あんなにも憎悪を募らせることができたのだろうか? だとしたら、私はあの頃の自分が恐ろしい。
私が本当に憎かったのは彼女なのだろうかとも思う。もしかすれば、その嫌悪を示す勇気もなく、なんでもないように接していた自分自身が、まんまと周囲の空気に同調してしまった自分の情けなさが、私はなにより憎かったのかもしれなかった。