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ジュリーの世界
プロローグ 二〇二〇年 二月五日 花束を持った男が祇ぎ園おん四し条じょう通どおりを東に向かって歩いていた。 午前七時。街はまだ眠っている。 普段ならこんな時間でも中国人の観光客たちが早朝営業のカフェ目当てに大勢出…
プロローグ 二〇二〇年 二月五日 花束を持った男が祇ぎ園おん四し条じょう通どおりを東に向かって歩いていた。 午前七時。街はまだ眠っている。 普段ならこんな時間でも中国人の観光客たちが早朝営業のカフェ目当てに大勢出…
第一幕 ブランコ乗りのサン=テグジュペリ 拍手は雨のようだった。 羽衣の薄さをした幕が割れると、スポットライトが身体に降り注いだ。伸縮性が高く薄い生地しかまとわない肌に感じたのは、刺すような熱だった。その一方で身体の…
1 「なぜですか?」 愕然とした声が狭い個室に響いた。シンガー志望という本人の自己申告に相違ない、よく通る声だった。 その女性はオフショルダーの服から出た肩をいからせて膝に両手を置き、テーブルの上に並べられた七枚のカ…
上体を反らされる感覚がした。 両腕を後ろから引っ張られ、胸が開く。直後に篤あつしはヒュゴッと息を吸い込み、目を見開いた。飛びたくても飛びたてない夢を見ていた気がしたが、咳き込むと口から唾液が散り、目の前にはフローリング…
これは、たかしくんがななほちゃんやお友達と遊んだ、ながい人生のなかの、ちょっとだけながい、おやすみの記録である──。 一章 鬱、ときどき休職当番 突然だが石いし狩かり七なな穂ほは肉じゃがが好きだ。 まず芋いもが好き…
第一話「草くさ迷めい宮きゅう」 長く続いた武士の世が終わり、元号が「明めい治じ」と改められてから二十一年目、明治二一年(一八八八年)の二月初めのある日の昼下がり。 かつての加か賀が藩はんの城下町にして、今や石いし川か…
月曜日 萩原紗英 朝は白い。いつもそうだ。空だけでなく、目にうつるすべてのものが淡い。すれ違う人の顔も、遠くに見える建物も、すべての輪郭がぼやける。でもそれは、ただ目が完全に覚めきっていないせいかもしれない。電車の吊…
一走、受川星哉 「オン・ユア・マーク」 二度、軽くジャンプしてから地面に手をつき、まず左足、それから右足を後ろの踏ふみ切きり板ばんに乗せる。スターティング・ブロックのセッティングは足の長さで測るやつも多いけど、俺はメジ…
天井のシーリングファンが空気をかき混ぜている。 それにより春先にもかかわらず店内は斑(むら)なく高温多湿に保たれていた。「レプタイルズ・メサ」の中はいつも生き物の匂いと音に満ちている。ここの空調が常に熱帯じみた温度と湿…
第1章 夜の爪 赤黒い血液が染み込んだナプキンを、トイレの汚物入れに捨てた。最近は軽い腹痛を覚えることも多い。少量だが続いている不正出血は、胸に暗い影を落としていく。 ヒット曲を奏でるオルゴールの音を聞きながら、待合…
夜も更けつつある時間、帝都の下町に女性の悲鳴が響き渡る──。「きゃあああああ!」 夜闇に響いた声の主を、助ける者はいない。 女性は必死になって逃げていたものの、彼女を追う者はいなかった。 目には見えない〝なにか〟から、…
鳥籠の鳥は、なにを考えているのだろう。 外の世界を渇望したりしないのだろうか。 自由がないと絶望したりしないのだろうか。 無邪気にさえずる小鳥を眺めながら、少女はそっと息をもらす。 夏の盛り。外の世界は眩しいくらいなの…
原田ひ香さんの最新作『図書館のお夜食』の第一章をマンガで公開中! 作品の雰囲気を、お気軽にお楽しみください! 気になる続きは、書籍にてお楽しみください! ★書誌情報はこちら
明治三十七年 四月「風が入ってくるな」 夕飯の後片付けをしていると、五左衛門がふと顔を上げ食事場と奥の三畳間を仕切る襖に目をやった。襖の上のほうに模様付きの横格子があり、外からの風が入ってきている。四月なので風はさほど…
序章 朱色や金色に塗られた柱に軒反りの屋根の建物が立ち並び、枝垂れ柳が風にさらさらと葉を揺らす。瓦は全て国色である碧みどり色で統一され、整然とした美しさのあるその場所は、四し獣じゅう封ほう地ちの西側を治める誠セイ国の…
君の涙 やけに蒸し暑い日曜日の深夜。僕は部屋の片隅にある扇風機のスイッチを入れ、勉強机に向かった。 椅子に腰掛けてノートパソコンを起動し、映画やアニメなどを視聴できる動画配信サイトに飛び、僕に刺さりそうな物語を物色す…
北口改札を出ると、女性はまっすぐ智とも子この家とは正反対の方面に向かった。 周りには終電を降りた北口利用者がちらほらおり、智子は彼らに交じって彼女のあとをついていった。 しばらく高架沿いの明るい居酒屋通りを歩いた。 ほ…
第一話 天風姤てんぷうこう 昨夜の冷たい秋雨から一転。青く澄んだ空の下、停車場に八はっ卦け見みの看板が立っている。 東京の新興住宅地だとか宣伝され、小金持ちが居を移してくるようになった目め白じろ界隈だが、駅前の景色は…
一九九五年 明石弓乃 二十二歳 わたしの名字が明あか石しだからアカシヤだ。 スーパーではなく、コンビニ。出入口上部の店舗看板には、アルファベットでConvenience、そのあとにカタカナでアカシヤと書かれている。 …
プロローグ 私達は、多かれ少なかれ漢字を操り生きている。でも、ある人に言わせれば操られているのは私達人間の方らしい。 漢字なんて、所詮は止め跳ね払いの集合体。それに一喜一憂する人間は、文字の精霊に弄ばれているに過ぎない…
生まれてきてごめんなさい定食 ふらっと立ち寄った定食屋に、『生まれてきてごめんなさい定食』というメニューが載っていた。 これってどんな定食なんですかって店員さんに聞いたら、言葉通り生まれてきたことを申し訳なく思ってる…
第一章 女学生支配人、誕生す 時は大正、日は良好。 麗らかな陽の光を受けるのは、春真っ盛りの荒川あらかわ近くに立つ木造りの校舎。その青々とした垣根の内側で、桔梗や牡丹の花々が揺れるように見え隠れしていた。 よくよく見…
まただ。 自室の扉を施錠し、一歩踏み出したところで野々森ののもり一はじめは足を止めた。 アパートの廊下には朝の光が満ち、安物のスーツを着た肩を肌寒さで竦めながら、野々森は隣室のドアノブにぶら下がったそれをじっと見つめた…
僕は今日、命からがら十六歳になった。 総合病院のジメジメしたロビー。こんな辛しん気き臭い場所で五月十二日の誕生日を迎えるなんて最悪だ。退院手続きを済ませ、硬いソファで母の迎えを待っている。 春の陽気も重たくなってきた五…
左手に書かれた「国語びん」に気づいたとき、ぼくは商店街を走っていた。 一瞬スピードをゆるめたが、家に戻るほどの時間もない。それにいまのところ、一度も信号に引っかかることなくここまで来ているのに、走りを止めるのはとてもも…
甘くてからい。煮詰まる音はくつくつとかわいい。四国の醸造元から取り寄せた醬油にてんさい糖で甘みをつけて、弱火で焦がさないようゆっくりと煮詰めた。里芋にこのタレを絡めて、みんながすきな味にする。 濃くておもい。味噌にぎゅ…
「おじさんは本当に律儀な方ですよ。死んでからも義理を尽くすなん…………すみません」「もう一回」「おじさんは本当に律儀な方ですよ。死んでからも義理を尽くすなんてまあ」 演出のカイトの言葉に従って、勝まさるは頷き、演技を続け…
どこまでも続く真っ白な大地を一歩一歩踏み締める。 足首の上まで分厚いブーツで覆われているのに、積もったばかりの柔らかい雪に踏み入れると、足首どころかふくらはぎのあたりまで埋もれてしまった。 ずぶっ、ずぶっ、と用心深く進…
第一章 余命銀行の新入社員 ロッカーに貼ってある【生内いけうち花菜はな】の名前が書かれた薄っぺらい磁石をはがすとき、胸はたしかに痛かった。 三月二十四日、金曜日。最後の出勤日である今日、引き継ぎをしているうちにいつの間…
春一番に飛ばされたものは 本田さん。斎藤さん。水谷さん。小川さん。千葉さん。佐々木さん。中野さん。東さん。 左に曲がって。 若林さん。多田さん。児玉さん。長谷川さん。武藤さん。島さん。河合さん。大塚さん。 配りつつ、…
1 どんぐり生ハム ──ポインセチア仕立て 十二月の寒い夜、ポストを開けると封印したはずの過去が待ちぶせていた。 写真つきのポストカードは、遠くイギリスからだった。 結婚しました。 イベリコ豚、もう食べま…
第1章 余命一年のふたり 「先生。俺は……あとどのくらい生きられるんですか?」 清潔な診察室。皺のない白衣を纏った、初老の医者。机の上のカルテと、対面のホワイトボード。 ついさっきまで俺は──待合室にいたときに入ったク…
三 翌日、僕と未夢は放課後に学校近くのコンビニで待ち合わせて、そこから歩いて十分くらいの距離にある太市の家に向かった。太市が住んでいるのは、バス通りを右に折れて坂を上った先にある市営住宅の四階だった。 去年の改修…
第一話 甜花、新しい夫人にお仕えするの巻 序 「……君をお嫁にもらってあげる。そしたらいつも一緒にいられるよ」 白く小さな花が房になって下がっている。その花陰で少年はわたしに囁いた。「いいよ、おにいちゃんが──にな…
第一話 どうせあいつがやった 男のスーツは、見るからにくたびれていた。 背広は襟のあたりがほつれ、黒地のスラックスは表面がつるつるに擦り減っている。実際、彼が着ているものは高級品とは言えない。量販店のセールで購入した…
プロローグ 運命の出会いは、時に驚くようなあじわいがあるものだ。 たとえるなら……唐突に渡されたホカホカの肉まんのように。 * 雨の夕暮れ。 倉庫整理のアルバイトを終えた俺は、トボトボと中華街を歩いていた。 その日…
序 其れは、図られし縁 大陸に、最大の面積を占める大国、陵りょう。 この地ではかつて、無数の悪鬼が跋扈ばっこし、人々は悉ことごとく疫病や災いに苦しめられていた。草木は生えず、水は涸れ果て、空にはいつも暗雲が垂れ込め…
「Aの図とBの図、『静けさ』を表しているのはどちらだと感じる?」 担任で美術担当の二木にき良平りょうへいが、教室の生徒全員に問いかけた。美術室の黒板には、大きな白い紙に印刷された二枚のシンプルな図が、四隅をマグネットで留…
ママはダンシング・クイーン 「ママ、チアリーダーになる!」 突然の宣言を、家族はことごとくスルーした。「ママ、おかわり」と息子は茶碗ちゃわんを突き出し、「あ、俺も」と夫がつられ、「ねえ、お弁当まだ? 早くしないと遅刻しち…
賢王と花仙の伝承 「だから! いったい貴様はどこの誰だと聞いているんだ!」「だから! ここがどこかって聞いてるんだってば!」 百花国ひゃっかこくの後宮こうきゅうは、本来ならば男性立入禁止。妃と宮女と宦官かんがんのみの世俗…
一筆啓上仕候 和久様 古今東西、ひとかどの人物ってのは、てえしたことを言いなさるもんだ。 あんまり感心しちまったから、お前さんにも教えてやろうと思ったが、同じ家に住んでいるってのになかなか話す時間もない。俺もいい年…
プロローグ 一九八〇年 八月七日 立秋 泣いていたらいつも抱き上げられ、背中を撫なでてもらえた。 とてもあたたかい、大きな手だ。手を広げてその人の首に抱きつくといい匂においがした。 あれはおとうさんかな、と思うけ…
プロローグ 六月半ば、そろそろ梅雨が近づいてきたある雨の日の夕方。十五歳の葛かつら城ぎ汀てい一いちは金沢駅で特急電車から降りた。大きな荷物は既に引っ越し先の祖父母の家に送ってあるので、リュック一つ、それと駅の売店で買…